「名著」という言葉を聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか?孔子の「論語」や、シェイクスピアの「ハムレット」などでしょうか。
好みの差はさておき、思想や小説、経済関係など、あらゆるジャンルに「名著」は存在します。つまり、日本酒に関する本にも「名著」はあるんです。
ただし、名著の名著たる所以でしょうか、内容が重たく、とっつきづらいことが多いのも事実。「読もう!」という強い意思に加え、精神的・時間的な余裕がないと、部屋の片隅で置き物と化してしまうことも。
そこで、今回から始まるシリーズ「日本酒名著感想文」では、SAKE Streetメディア編集部が考える「日本酒に関する名著」をインターン生・榎本が読み、概要と感想をざっくりご紹介。「一緒にわかった気になろう!」という不定期連載です。第1回目は、江戸時代初期に執筆された酒造りの技術書「童蒙酒造記」を紹介します。
「童蒙酒造記」とは
「童蒙酒造記」の著者は未詳で、貞享4(1687年)年に成立。江戸時代初頭の名醸地である摂津鴻池(せっつこうのいけ/現・兵庫県伊丹市内)の流派を中心に、酒造りの全般を全5巻にわたって解説する技術書です。「この本は決して他人に見せてはならない」という表記があることから、仲間内のみで共有されていた「秘伝の書」だったと考えられます。
現在ではほとんど造られていない、乳酸発酵利用の新酒用菩提酛や高温糖化の煮酛から、現代に通じる生酛造りまで、当時の技術が細かく記載されている、資料的価値の高い一冊です。
特徴はなんといっても、解説の細やかさ。一つひとつの項目が、とにかく具体的で詳しく解説されています。酒造の技術はもちろん、その前段階にある米の相場の見極め方や、酒蔵の規模に応じた働き手の人数の目安にいたるまで、具体的な数字が提示されています。「このような状況になったら、こういう対応を取るべし!」というような一問一答形式での解説も多く、「緻密さを徹底的に追い求めた、非常によくできたマニュアル」という印象を受けました。
なお、タイトルに使われている「童蒙」の意味は「まだ幼くて、物の道理に暗い者。子ども」という意味です。著者が謙遜しているのか、「バカでもわかる!日本酒の造り方!」という意味なのかはわかりませんが、いずれにしろパワフルな言葉遣いの題名ですね。
日本酒の歴史を学ぶときに、必ずと言って良いほど題名を目にする名著なのですが、中身を読んだことはありませんでした。それでは、一緒にざっくりと目を通していきましょう!
各巻の内容をざっくりと紹介
ここでは、全5巻それぞれにどんなことが書いてあるのか、ざっくりと紹介します。
第一巻:酒造りの前に知っておこう!
「酒造りに関する心得」や「酒造用道具の見積り」など、醸造の前段階の部分、心構えなどが解説されています。冒頭は「神話と酒の関係性」の解説から始まり、終盤では専門用語の説明が記載されているなど、カバー範囲はかなり広めです。
第二巻:3種の酒母造り
菩提性(酛)仕込み、煮酛仕込み、水酛仕込みの3つの酒母造りが解説されています。菩提性(酛)仕込みが意味するものは現代と同じですが、それ以外の2つは以下のとおりです。
- ・煮酛仕込み: 酛を加熱して糖化を促進させる、現在の高温糖化法
- ・水酛仕込み:現在の生酛造りであり、当時の一般的な酒母造り方法。現在の水酛仕込みとは異なる
第三巻:季節ごとの造り方
季節による酒造りの違いについて丁寧に解説されています。寒造り、生酒、春造りの3つが解説されており、それぞれの具体的な時期は以下のようになっています。
- ・寒造り:寒前から立春ごろまでの90日間(現代の太陽暦で11月から1月)
- ・生酒:小寒から大寒の30日間(1月中)
- ・春造り:啓蟄から穀雨まで(3月中)
第四巻:いろんなお酒の造り方
「童蒙酒造記」は鴻池流の技術書ですが、ここでは他の流派について解説しています。また、焼酎やみりん、薬酒など、日本酒以外の酒や、日本酒を利用した酒の造り方も解説されています。
第五巻:ここで判断!お酒の良し悪し!
酒造りが失敗する兆候や判断基準、失敗しそうなところから、良い完成度に持っていくテクニックなどが解説されています。また、部外秘を指示する「諸家の口伝は秘密にされているとはいえ、縁を求めてこれを伝え、さらに記しておく。むやみに外に出してはならないものである」という文言が再び記載されています。
ここが気になる!現代とのちがい!
酒造りの知識があまりない私でも「え、これ現代と全然違うよね?」という部分がいくつかあったので、特に気になったところを紹介します。
現代と同じ表記なのに、ちがう意味を持つ言葉
第二巻に「新酒」という記載があるのですが、現代とは違い「旧暦の立秋から秋の末」つまり、現代の8月上旬から11月上旬の期間に造る日本酒のことらしいです。暑さの残る8月に「新酒」に取り掛かっているのは、現代の感覚からすると、かなり早い印象を受けます。
また、第三巻に記載されている「生酒」は「日持ちがよいものである」と解説されています。現代の感覚からすると、生酒って最もデリケートなお酒なので、正反対の評価ですよね。たしかに、一年の中で最も寒い時期に造っているようですが、それだけで日持ちが良いと断言するには不十分な気がします。
もしかすると、「童蒙酒造記」に記載されている「生酒」は「火入れをしていないお酒」という意味ではないのかもしれません。ところが、最後まで読んでみてもこの疑問を解消することはできませんでした。第五巻に「火入れ」についての解説があるのですが、当時はお酒の種類によって、火入れを行う方法や時期が異なっていたようなので、「日持ちがよい」というのは、「火入れまでの期間を長く保てた」という意味なのかもしれません。
うーん、私ではこれくらいの理解、推測が限界です。このあたりを整理できる方がいらっしゃたら、教えていただけるととても嬉しいです。
マニュアル化への挑戦と限界
第五巻に「わく音(アルコール発酵により、もろみが炭酸ガスで泡立つ音)」の解説があるのですが、
- ・さわさわ
- ・ガタガタ
- ・がたがたぴちぴち
- ・ふつうりふつうり
- ・ふつりふつり
- ・ふつふつ
- ・さわさわ
- ・さわさわびちびち
- ・雨垂れのようにぽちぽち
と完全にオノマトペだけで表現されています。例えば、「〜翌日はがたがた、三日目にはがたがたぴちぴち」といった具合です。著者の繊細な感性にあっぱれと言いたいところですが、音の違いを区別できるかと言われると、正直微妙な気がします。個人的には「さわさわびちびち」は単体でのイメージすらできません。
分析装置はおろか温度計すら存在せず、判断基準のほぼ全てが蔵人の経験と勘にもとづいていた当時、オノマトペでどうにか情報を共有しようとした結果なのでしょう。「背中で語る、見て覚えろ!」と指導を放棄せず、丁寧に共有しようとする姿勢には感動しますが、当時これを読んだ造り手が、実際に音の違いを判別できたのか気になります。
まとめ
当時の酒造りにおける判断基準や、現代ではほとんど見ることない技術の数々を知ることができる、おもしろい書籍でした。ただし、酒造りの技術に関する具体的な解説の数々は、私の理解できる範囲をはるかに超えており、現代と比べてどうなのか、どの程度同じでどれくらい異なるのかなどは、正直まったくわからなかったです。
「童蒙酒造記」に記載されている具体的な解説を読みながら、「ほぉ、当時はそうだったのか、なるほどね」と日本酒片手に余裕を持って理解できるようになるために、これからも他の名著を読んで勉強したいと思います。
酒造りの全般にわたる解説が事細かに記載されているため、真正面から全て理解しようと受けて立つのは、かなりの高難易度だと思いますが、斜め読みやざっくり眺める程度であれば、日本酒好きの誰しもが楽しめる本だと思います。日本酒名著「童蒙酒造記」、ぜひ読んでみてください!