「名著」という言葉を聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか?孔子の「論語」や、シェイクスピアの「ハムレット」などでしょうか。
好みの差はさておき、思想や小説、経済関係など、あらゆるジャンルに「名著」は存在します。つまり、日本酒に関する本にも「名著」はあるんです。
そこで、本シリーズ「日本酒名著感想文」では、SAKE Streetメディア編集部が考える「日本酒に関する名著」をインターン生・榎本が読み、概要と感想をざっくりご紹介。「一緒にわかった気になろう!」という不定期連載です。第2回は、日本酒漫画の殿堂「夏子の酒」を紹介します。
※この記事は「夏子の酒」のネタバレを含みます。新鮮な気持ちで作品と向き合いたい方はブラウザバックしてください。
「夏子の酒」とは
「夏子の酒」は尾瀬あきら氏によって、講談社の「モーニング」で1988年から1991年にかけて連載されていました。1994年にはテレビドラマ化され、累計発行部数は385万部を超えるなど人気も高いため、「日本酒漫画」と言われたら多くの方がはじめに思い浮かぶ作品なのではないでしょうか。
ストーリーは、主人公・佐伯夏子(さえきなつこ)が亡くなった兄・康男の遺志を引き継ぎ、まぼろしの米「龍錦(たつにしき)」を復活させ、その米で酒を造り、すべての日本酒を凌駕する日本一の酒「夏子の酒」の完成を目指すというもの。米作りや酒造りの丁寧な描写だけでなく、さまざまな立場の登場人物による人間模様、葛藤の様子が鮮やかに描かれています。
また、三増酒や付け香、農薬や減反政策など、当時の日本酒業界や農業が抱えていた問題に触れる社会派な側面もあります。
「夏子の酒」のココを語りたい!
龍錦が足りない!どうする夏子!?
まぼろしの米「龍錦」ですが、農薬や化学肥料を使って大量生産できるものでないうえに、穂の背丈が高いため倒れやすく、台風でも来たら全滅という、近代農法が普及した今となってはまったく採算が取れない品種。
また、酒を造るということは相当な量が必要になるため、夏子は龍錦を作ってくれる農家を探すことになります。しかし、すでに町の農家は田んぼをフルに使って他の米を栽培、しかも、ヘリコプターで農薬を空散する効率的な農業を実施しており、まったく取り合ってくれません。
これに対し、夏子はどんな方法で説得を試みると思いますか?
……そうです。感情論で攻めます。
夏子は農家の集会などに顔を出し、「百姓の作る喜び」を訴える感情論で説得を試みます。以前の農薬空散の際に、ヘリからの農薬を直に浴びた子どもたちが病院送りになったこともあり、集会参加者の心は多少揺らぐのですが、結局大きな動きはありませんでした。
最終的に、夏子と志を同じくする農協組合長の尽力により、龍錦以外も対象とした有機栽培による「町の米ブランド化」により高値での買取体制を構築。地元農家の協力を得ることに成功し、一旦の解決を迎えます。
この「夏子の熱意にみんなが感動、村全体が協力!」のようなご都合主義のハッピーエンドではなく、お金の絡んだベターエンドを迎えるリアルさが魅力。これに限らず「夏子の酒」は妥協がありつつ、そこにモヤモヤを抱える夏子を美しく描写しています。
個性豊かな登場人物
「夏子の酒」は、米作り・酒造りはもちろんのこと、個性豊かな登場人物が織りなす人間模様も見どころです。
いくつか例を挙げると
- ① じっちゃん:夏子の兄・康男から龍錦の種籾を託され、老いに体を蝕まれながらも日本一の酒造りに取り組む蔵人暦60年のベテラン杜氏
- ② 冴子:東京で叶わぬ恋に破れて地元に帰ってきたわりに、田舎や農業を馬鹿にしたり、夏子の前で田んぼにタバコをポイ捨てする元同級生
- ③ 豪田:有機農法でほぼ自給自足の生活に取り組み、夏子の龍錦栽培に協力するガチの自然派ヒゲ面男
- ④ 慎吾:粗悪な日本酒を大量生産するようになった隣の酒蔵の御曹司(夏子のことが好き)
- ⑤ 草壁:夏子の兄・康男の後輩で、夏子と共に日本一の酒造りに挑戦することになる蔵人(夏子のことが好き)
- ⑥ 内海:全国新酒鑑評会連続入賞、人気・質ともにナンバー1の日本酒「美泉」を醸す内海酒造のハンサム蔵元(夏子のことが好き)
このほかにも、キャラの強い登場人物たちが、時に痛快で、時にもどかしいやり取りをする様子は見ていて飽きません。
特に、④成金根性丸出しだった御曹司・慎吾が本気の純米酒造りに目覚めたり、②「嫌な女」の典型例だった元同級生・冴子が農業に目覚め、最終的に③自然派ヒゲ面男と結婚する展開はイチオシです。読んでいて酒が進みます。
夏子最大の悩み - 日本一の酒とは
ついに酒を醸すのに十分な量の龍錦を収穫することに成功した夏子ですが、「目指すべき酒の方向性」で悩むことになります。そんな中で、兄・康男が夏子の結婚式用に残していたひと瓶の「吟醸N」(NはNatsukoの頭文字)を口にするのですが、どんな香り・味も判別し、表現できるという神がかったテイスティング能力を持つ夏子の舌をもってしても、「吟醸N」には表現しきれない「何か」を感じるのでした。
以降、夏子はこの「何か」が日本一の酒たる要素だと考え、その味わいを目指すのですが、神の舌を持つ夏子にすら理解できないものを、杜氏や蔵人に造らせるのは無理難題。龍錦で醸した酒は格別に美味しいものになりましたが、「何か」に到達することは決してなく、夏子は自分の気持ちを抑え込んだまま、周囲と同様に完成を喜びます。
この誰にも理解されない、なんなら夏子自身も自分の感覚が正しいのかわからない、落としどころのわからない苦しみの描写には迫ってくるものがあります。この作品、とにかく負の感情描写が良すぎるんです......!
まとめ
お互いの立場あってこその対立や降りかかるアクシデントを乗り越えて、龍錦の復活栽培、日本一の酒造りに挑む夏子とキャラクターの丁寧な心情描写は、まさに「名著」で、心地よい読後感を与えてくれます。米作りや酒造り抜きにしても、漫画としてシンプルにおもしろいんですよね。
また、夏子のいる佐伯酒造や、劇中で人気・質ともにナンバーワンとされる内海酒造などは、実在する酒蔵(それぞれ久須美酒造、黒龍酒造)がモデルになっていますし、このほかにも、実在する酒蔵の名前やお酒が登場し、おいしそうに飲まれるシーンを見れば、登場銘柄を飲みたくなること必至です。
単行本のほかに、文庫本や電子書籍でも展開されており、手に取りやすいのも非常に魅力的です。日本酒名著「夏子の酒」、ぜひ読んでみてください!
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